やまこしについて

新潟県中越地震

 2004(平成16)年10 月23 日午後5 時56 分、新潟県中越地方を震源とするマグニチュード6.8 の地震が発生しました。震源地は川口町(現在の長岡市川口地域)で、最大震度の7 を観測し、山古志村では震度6 強を観測しました。

 山古志村では各地で大きな地すべりが発生し、ライフラインが途絶え、全ての集落が孤立しました。外から助けを呼ぶこともできず、余震が続く中、集落の人たちは安否確認をし、家の下敷きになった人や高齢者を助け出したりしました。そして、路上などで身を寄せながら一夜を明かしました。

 地震発生2 日後の25 日には、避難勧告が避難指示に切り替えられ、2005(平成17)年4 月に合併することが決まっていた長岡市へ全村避難をしました。着の身着のままヘリコプターに乗りこんだ住民は、山古志の惨状を目に焼きつけながら避難しました。それは、祖先の時代から守り慈しんできた田んぼや畑、山古志の美しい風景が崩壊した姿でした。

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地震発生から全村避難

  • 【写真】関 克史

    関 克史

    畜産業/梶金

    外へ出て、振り返ると
    牛舎がゆっくり倒れていった。
    こんなことが起こるのかと思った。

    牛舎で餌をやっていたら、地面が揺れると同時に、体が大きく飛ばされました。何が起きたのか、よくわかりませんでした。尻もちをつきながら見渡すと、牛たちも慌てていました。とにかく外へ、と考えて牛舎を出て振り返った瞬間、倒壊しました。

全村避難から全村避難

  • 【写真】長島 忠美

    長島 忠美

    当時山古志村長

    全村避難、それは
    「やまこし再生」に向けた
    始まりだった。

    この大災害を克服して山古志を再生するのに、最も大切なものは何か。それは人々のふるさとへの想いであり、絆と思った。全村民が行動を共にすることで、絆は生き続けることができると直感した。(編)

避難生活

  • 【写真】草間 頼雄

    草間 頼雄

    当時山古志村教育長/種苧原

    子どもたちは元気で、
    大人よりも山に帰りたい
    という気持ちも強かった。

    牛舎が倒壊して35頭の牛が亡くなりました。生き残った牛を助けたいのですが、一緒に連れて行けません。ヘリで避難する日の朝、牛舎につながれた牛たちのロープを切りました。逃げろ、そして生きてくれ。涙が流れました。

帰村そして未来へ

  • 【写真】田中 仁

    田中 仁

    山古志商工会長/虫亀

    ここで楽しく暮らしたい、
    地震をきっかけに、世代を超えて
    そう思う者が増えたと思う

    避難指示解除が現実的になった頃、仮設住宅に住む各家庭では、帰村についての家族会議が一度や二度は行われている。今山古志で暮らす人々の多くは、ここで住むことを選び、それぞれに覚悟をして戻った。山古志は、ご先祖ではなく今生きている人たちに選ばれた土地なのだ。(編)